野球は観るもの、やるものじゃない思想を生んだ小学校低学年のトラウマ

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野球はもっぱら見る派だ。絶対にプレイする側には回らない、いや、運動神経がついていかずに回れないという方がしっくりくる。

横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズに変わるあたりが好きだった。ブラッグスからのローズ、ローズがフルカウントからヒットを放った時なんかは大騒ぎしたものだ。

だが僕は昔から運動が苦手であり、球技の中でも野球は苦手中の苦手だ。なんせ球が小さいし、バットは細い。どちらかを大きくしてくれれば当たりやすいものを、なぜだか球も小さくバットも細いというイバラの道を選んでいる。さらにいうなら球が体に当たると痛い。

昔一度、あれは小学校時代だっただろうか、放課後のグラウンドにて試合形式の野球に強制参加させられたことがあり、その時僕はライトで9番だった。

当時の僕はライトは一番使えないヤツが守るポジションで、9番は一番打てないヤツが割り当てられる打順だと思っていたので、クラスの皆様におかれましては当時の僕のことを深く理解していただいていたのではと、深く感謝いたします。

観戦は好きなのにプレイするはまっぴらごめんな状態のまま大人になった。ゴールデンエイジの真っ只中で野球をやる事を捨てた少年は、大人になった今でも運動が苦手だ。

捨てるに至るまでに何があったのだろう、ふと思い返すと小学校低学年を過ごしたあの時代に降りかかった出来事がトラウマとなったのかもしれない。

 

 

下校途中にある工業高校のグラウンドの敷地付近の歩道で、ボロボロで、皮がめくれかけている野球ボールを見つけた。

高校球児らの練習で使い叩かれ茶色く変色し、バットで打たれる度に縫い目が弱くなり皮がめくれ、グラウンドの隅に追いやられたのちに何らかの外的要因でグラウンド外へ出てしまったボロボロの野球ボール、みなさんも一度や二度は目にしたことがあるだろう。

そんな誰もが見たことのあるボロボロの野球ボールが今、僕の通学路脇にひっそりとたたずみ、仲間になりたそうにこちらを見ているのだ。

 

当時小学校低学年だった僕は、ボロボロの野球ボールがなぜか道端にたたずんでいる現象に対しての経験がなかった。道端の野球ボール童貞。さらにいうと少年野球チームなどといったアグレッシブなクラブにも所属していないアグレッシブなクラブ童貞でもあったため、野球ボールは、例えボロボロでも、当時の僕の興味をそそった。

 

小学校高学年ほどになるとなぜだか河川敷や線路付近でボロボロのエロ本に遭遇する率が高くなる。高学年がボロボロのエロ本を見つけた時の興奮と低学年の僕が野球ボールを見つけた時の興奮レベルは同等であり、道端に落ちているモノは大抵がボロボロである。

 

落し物は交番に届けなさい、と、両親から厳しく教育を受けていたが、興奮していた僕は親の指導を一旦なかったことにして、道端のボロボロの野球ボールを誰にも見られないよう素早く手に取り、ズボンの右ポケットへ無理やり押し込んだ。

ボロボロのボールは拾ってくれてありがとうと言っていたし、ボールは笑っているように見えたが、僕のポケットは異様な膨らみをみせていた。

 

道端でボロボロの野球ボールを拾ってポケットにねじ込むとポケットは信じられないくらい膨らむ事を学んだ。道端でエロ本を拾うとこれまた膨らむんだと経験したのはもうちょっと大きくなってからの事だった。

 

怪しさ全開の右ポケットを周囲に悟られないよう右手で隠しながら下校を再開。右手のひらはポケットを隠すように固定、なぜか右腕も固定してしまったため左腕だけを元気に振りながら歩く不自然な小学生が誕生した。

 

なんとか家に帰り、晩御飯を食べ、夜商売の両親は仕事へ、5歳年下の妹は就寝、僕とバーサンだけが家にいる。

バーサンというのは、風呂から上がったあと、首元に細やかなレースが施されているベージュ色のシャツとパンツを身にまとい、決まって茶の間で柔軟をする生き物のことをここでは指す。年齢の割には開脚角度も広く、そのまま前屈した時には床までベタリとはつかないものの良いところまでは上体を落とすことができるバーサン。

バーサンの柔軟の話は野球ボールとあまり関係がないので一度忘れていただくとして、そんな柔軟なバーサンがいつも通り風呂に入り始めた。つまり茶の間には僕一人、拾ってきたボールを眺める千載一遇のチャンスが訪れた。

 

家の玄関の棚にこっそりしまっておいたボールを茶の間に持ってきて眺めた。おお、なんとボロボロの野球ボールよ。what a bad conditoin this ball is! 僕が外人ならきっとこういう。皮がめくれている部分を触ったり引っ張ったりしていると、もうちょっと力を入れれば皮、剥けそうじゃね?皮、全部剥いちゃう?みたいな謎の欲望にかられた。

力を入れてボールの皮を引っ張ると、ビリビリだろうかバリバリだろうか、剥いた時の手の感覚は忘れてしまったが、とにかく皮を剥くことに成功したのだ。小学校低学年の僕にとって野球ボールの皮を自分で剥くことができたという成功体験。文字通り一皮向けたのだ、僕も、ボールも。

 

あなたは皮を全剥ぎされた野球ボールを見たことはあるだろうか。きっと予想もつかないと思うのでさっさと答えるが、皮の下は糸みたいなモノがグルグル巻きになっているのだ。

糸みたいなモノと曖昧に表現したのには一つ理由があって、僕も糸の正体を知らないから。皮を剥がれた野球ボールにグルグルに巻きついている糸みたいなモノの正体を簡単にネットで調べることができる便利なこの時代、僕はあえて、調べない。

 

さて、糸でグルグル巻きになっているボール、手まりの様に見えなくもない見た目。よくテレビなどで生物系の大学教授が動物の死体を集めてきて解剖しているのを見かける。また壊れた家電の分解など、内部構造がどうなっているのかを知りたい欲を持っている人が一定数いるもので、当時の僕もそれらと同種だった。

 

糸の先端を必死に探し、もしくは先端が見つからなかったからちょっとだけ失礼してハサミで切ったのか、とにかく糸の先端を左手親指と人差し指でつまみ、ボールを持っている右手を左手の周囲で回転させ、左手に巻きつけながら糸をほどいていくことにした。左手が地球、右手は月みたいな関係でグルグルと右手を回して糸をほどいていく。

 

何層にも巻かれた糸をほどいていく過程で徐々に小さくなっていくボールに目に見えた成果を感じた僕は無我夢中になった。どんどん小さくなっていく、ボールは最後どうなるんだろう。

ほどいた糸みたいなモノを左手に巻きつけながら作業を進めていくとなにやら黒くて小さな丸い物体が見えてきた。黒くて小さな丸い物体と曖昧に表現したのには一つ理由があって、僕も知らないからだ。ネットで調べることができる便利なこの時代、僕はあえて、調べない。

 

拾ってきたボロボロのボールの皮を全部めくって、糸みたいなものを全て取っ払ったら、なんか丸いヤツがでてきた、というのがここまでの文章の要約である。長々と書いてもしょせん2行で要約できる内容の文章にしかなっていないが、どうせここまで時間を浪費したのならぜひ最後までお付き合い願いたい。僕の伝えたいことはこの先にあるのだから。

 

さて、ボールの中には小さなボールが入っているマトリョーシカ構造だということがわかったので、次のステップは小さなボールの正体を突き止める作業に入らなければならないが、気づくとほどいた糸の全ては左手にガチガチに巻きついて、手まりみたくなっていた。なんということでしょう、左手が皮をめくったあとのボールになっているではありませんか。

そりゃそうだ、右からほどいた糸を左に巻きつけながら移動させていたのだから。右から左への移動について物理の法則かなんかで説明したいとこだが、僕の頭ではムーディーをひねり出すのが限界だ。

 

ガチガチに糸で巻きつけられ、自分ではどうすることもできない左手。ボロボロのボールは拾ってくれてありがとうと言っていたはずだし、確かにボールの表情には笑みがこぼれていたはずだが、あれは悪魔の微笑みだったのか。ボールの罠にまんまと嵌ってしまったというのか。

 

それとも何か、拾ったモノを交番に届けなかった罰を神様に与えられたのだろうか。僕が交番勤務の警察官で、道端の野球ボールの発見経験ゼロの童貞少年がボロボロの皮がめくれかけたボールを届けに来たのなら、それは君のボールだよ、と、優しく言って追っ払うだろう。

絶対に落とし主が見つからないボロボロのボールをあえて交番に届けることで警察官の手を煩わせてはいけないのだ。出来レースに警察を巻き込んでは申し訳ない、警察も暇ではないのだ。

しかし神様は、工程が大事じゃぞ、はしょっちゃイカンよはしょっちゃ、というのか。小姑のような神様だ。はしょる、とは、端折るの事で、ここでは省いて短くするみたいな意味で使っています。

 

道端の野球ボール童貞からは辛うじて卒業できたものの、その代償は糸みたいなモノによる左手の封印という大きなものだった。知識欲に身を任せ後先を考えず行動した結果ではあるがそこに後悔はなかった。なんだか清清しい気分でさえある。この気分を格言として後世に残すとすれば

 

びえーんえんえん、取れないよー、えーんえん

だろう。実際当時こう言った。

 

びえーんえん、手が動かないよー、バーサーン

とも。

 

何事ぞ、ワシの大事な孫。バスタオルで滴る水分をふき取りベージュのシャツとパンツを軽やかに身にまとったバーサンが何事ぞ何事ぞと浴室から茶の間へやってきた。そこにあるのはバーサンの入浴中に一人で謎の遊びに興じ、結果ボールに左手を封印されてしまった最愛の孫の慌てふためく姿だ。バーサンはベージュ、孫ご乱心。

何を馬鹿な事やっているの、と、ごもっともな台詞を浴びせかけられたのち、ハサミで巻きついた糸を丁寧にカットしてもらい、ようやく僕の左手の封印は解かれることとなった。

 

以来、その少年が野球をすることはなかったそうな、めでたし、めでたし。

 

 

この左手が封印された事がきっかけで深層心理で野球を遠ざけていたのか、もしくはグローブをはめようと手を入れたらグローブの中に毛虫がいてびっくり仰天したことが原因なのかは今となってはわからない。

しかしこのような目を背けたくなるような経験がもととなり運動嫌いになる子供は確実に存在し、そういった子供が成長し大人になったのち運動を好きになる確率は限りなく少ないだろう、調べてないけど。

子供の健やかな成長を願うのであれば、やらなければならない事はただ一つ、毛虫が出る場所にグローブを保管しないことなのかもしれない。

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