田舎のコンビニ店員さん、僕にだけは親しげにしないでください

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田舎あるあるなのかもしれないが、コンビニ店員さんから親しげに話しかけてくるようなコンビニが存在する。

 

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特別に扱ってほしくない

いや、仮にコンビニ店員さんと客が知り合い又は友達など、店員と客以前になんらかの関係が構築されているのであれば、これは仕方のない状況なのかもしれないが、知り合いの知り合い程度遠い関係であれば話しかけてきてほしくないというのが僕の主張だ。

話しかけてほしくないというか、他の客と同じ対応をしてほしい。知り合いの知り合いだからと言っていつもより笑顔で接するとか、目を見る時間が長いとか、そういったのをやめてほしいと切に願っている。

 

コンビニは生活インフラの一部として機能しているからこそ

コンビニとはもはや生活インフラの一つとして確立されている存在であり、何かあればコンビニに立ち寄るのが毎日の生活の一部となる。

タバコがなくなればコンビニに行くし、アイスが食べたくなればコンビニへ、お腹が空けばサンドイッチでも買いにコンビニに行くだろうし、のどが渇けばジュースを買いにコンビニに行くのだ。

 

毎日の日課の中に存在する不要な光線

日によっては2回も3回も立ち寄る可能性のあるコンビニ。

その度にコンビニ店員さんの「私はあなたの事をちょっとだけ知っているのよ」と言わんばかりの視線やアピールをされたらたまったものではないのである。

タバコを買いにコンビニに来たのであって、人恋しくてコンビニに来たわけではない。知り合いの知り合いほどの距離のコンビニ店員さんが僕に送ってくる知っている光線は、生活の一部となっているコンビニの買い物には不要なのだ。

他の客とは違う特別な挨拶「この前はどうも~」などもっての他。特別感を出されるのはまっぴら御免なのである。

 

知り合いのいないコンビニを探す時代に突入した

なので、コンビニに行くのにも行き先を考えなくてはならない時代に突入した。特に田舎に顕著に現れる現象だ。

どういう事かというと、知り合いが全く存在しないだろうコンビニを選んで、そこめがけて買い物に行かなくてはならない時代だという事だ。

近くて便利なはずのコンビニ。

なのに、一部のコンビニ店員さんの知り合い客への特別な対応によって敢えて遠くのコンビニを選んで買い物に行かなくてはならなくなるというなんとも本末転倒な時代。

限りある資源であるガソリン、そして平等に流れる時間を浪費してまで遠くのコンビニに行く、なんと息苦しい世の中よ。

 

激務の中に見出す癒しが僕という存在

知り合いであれば距離を詰めたいという思いはわからなくもない。もしかしたらコンビニの業務は我々が知らないだけで激務であり、店員さんは日々疲弊、精神を持っていかれている中で見出す一筋の光が知り合いの知り合いである僕であり、その瞬間に癒しを得るのかもしれないが、きっとそんな事はない。

ただ知り合いの知り合いが客としてきたからちょっと特別な笑顔を見せるだけだと思う。

 

田舎のコンビニで働いている特別な感情が表に出やすい店員さんへ

どうか僕があなたのコンビニに買い物に行くときだけは、他のお客と同じ対応で接客していただきたいという思いを乗せて、この記事を閉じさせていただきたいと思います。

 

現場からは以上です。

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